様々なEPR手法
CW-ENDOR Pulsed ENDOR ESEEM PELDOR (DEER) NMR-detected ELDOR
時計タンパク質kai
BLUFタンパク質
EPRとは
この世の中は重力、電磁気力、強い力、弱い力の4つの場からなるとされています。 まわりをぐるっと見回した日常レベルでのエネルギーの大きさでは重力と電磁気力が中心です。重力に比べると電磁気力は格段に大きい存在です。 つまりこの世の物質世界の多様性の舞台は電磁気学で主役は電子が担っています。 電子の働きを調べるためには物質を電磁気の力でゆすってやってその時の反応の様子を調べてやるのが一番です。電磁場の振動は電磁波によって与えられます。物質の状態によってゆすりかたも様々です。 電磁波は振動数によって名前がついています。(可視)光、赤外、マイクロ波、ラジオ波、X線などです。それぞれ観測対象によって使い分けられます。 EPR法はそのうちマイクロ波を用いた、電子スピンを観測対象とする手法です。
EPRは電子常磁性共鳴(EPR:Electrn paramagnetic Resonance) の略で電子スピン共鳴(ESR:Electron
Spin Resonance)ともいい磁気共鳴法の一種です。 NMRが核スピンを対象とするのに対してEPRでは電子スピンを対象とします。 スピンの実体は、量子力学と相対論と電磁気学をひっつけたところで見えてくるものですが、別に実体を考えなくとも電子や核が小さな磁石となっているという理解で十分です。 小さな磁石ですから外から磁場がかかった時に自転運動をおこします。コマの運動で習うラーモアの歳差運動です。この時、横方向から振動磁場を与えてやるとコマはらせん回転運動をおこします。これが共鳴運動です。振動磁場とは電磁場のことです。振動数によってラジオ波であったり、マイクロ波であったり、可視光であったりします。
回転座標系でスピンの運動をみる
歳差運動の周波数は外部の静磁場できまっているので、こまといっしょに回転してみてコマの運動を
観察してみると、とまっている座標系でみると複雑ならせん運動をしていたコマの運動は時計のようにぐるっと
まわる単純な運動に見えます。
“いっしょにまわるとそら確かに単純な運動に見えるやろけど、実際にはどうするんだよ”と思うかもしれませんが、 回転座標系は与える電磁波の振動数のことですから、でてくる信号を与えた周波数で割ってやればそれで回転座標で見ていることになります。磁場中を時計回転するスピンをみてやると、外部磁場と反平行の方がエネルギーが低く平行の方がエネルギーが高いわけですから、上から下に向かう時はエネルギーを吸収し、下から上に向かう時はエネルギーを放出することになります。 磁気共鳴とはエネルギーの吸収と放出を繰り返す現象です。ただ、全体的にみるともともとエネルギーの低い上向きの方が数が多いので差分で吸収だけがみえるのが普通です。 数が同じになってしまうと放出と吸収の数が同じになって何も見えません。これを飽和と呼んでいます。 物質中にはたくさんスピンがあるのでそれぞれのスピンの吸収や放出がおこるため、測定はいろんな状態のスピンの平均をみていることになります。 これを方向をそろえてやって観測してやろうというのがパルスEPR法です。
90°パルスと180°パルス
外部磁場だけがかかった状態では多くのスピンは上を向いています。そのほうがエネルギーが低く安定だからです。 そこで短い時間に強い振動磁場を与えると、上を向いていたスピンは、自分勝手に動く暇なく一斉に回転をします。 動きがそろっているのでスピンそのものの動きを観測できます。これがパルスEPR法です。 短時間の照射とはいえ運動そのものは歳差運動ですから、上の説明と同様に(参考) 時計のように縦の面をぐるっとまわることになります。たとえばぐるっとまわって完全にスピンが下を向いたときに照射するのをやめたとします。 そうすると、スピンの状態は完全に逆転することになります。
180°回転したところでやめる長さのパルスですからこれを180°パルスといいます。
横を向いたところでやめる長さのパルスのことを90°パルスといいます。
スピンエコー法
90°パルスと180°パルスとを組み合わせるとスピンエコーと呼ばれる信号が観測されます。
これは次のように説明できます。 初め上を向いていたスピン達に90°パルスをかけるとびっくりして有無をいわさず横方向に倒されます。 その後ほっておくと、このままじっとしているかというとそうではなくてスピンはみんなちょっとずつ違うので勝手にばらけてゆきます。 このときのばらけ方ですが、例の回転座標系にのっているので、回転座標系より回転が速いスピンはX’Y’面で正の方にずれてゆき遅いスピンは負の方にずれてゆきます。 この速さの違いはそれぞれのスピンがちょっとずつ違った環境にいることに由来します。 たとえば電子スピンのまわりに核スピンがあったとするとその核スピンがゆらいだりして電子スピンの受ける磁場の向きが変わったりすることが原因です。 適当にばらけたところでまた180°パルスをかけてやります。 そうすると面がひっくるかえります。 ひっくりかえると、今度ははやくばらけていたスピンの面内回転の速さはやっぱりはやく、おそくばらけていたスピンはやっぱり遅いのでしばらくすると集まってきます。 ばらけていたスピンがいっせいに集まるので大きな信号が観測されることになります。これをスピンエコーと呼びます。 スピンエコー法はパルス法の基本となる手法です。
量子力学でのスピンの振る舞い
量子力学とは連続だと思われていたエネルギーには最小単位があるということからなりたっています。 また、状態は波で表わせられるので振動数と時間とは同時には決められないという不確定性が柱になっています。
磁場中でスピンのとりうる状態も整数倍のとびとびの値となります。 電子はスピン1/2という大きさをもちます。磁場中では上を向くか(+1/2)下を向くか(-1/2)の状態の2つの状態(差が1つ)しかとりません。磁気共鳴は量子力学に基づいているので共鳴は途中の状態はとりません。
そうなると上の歳差運動という話(参考) はどうしてくれるんだ、ということになりますが、その説明は量子力学的にはうそだということになります。 では90°パルスをかけたあとのスピンがみんな横を向いた状態というのは量子力学的にはどうなるのでしょうか。 90°パルス後の状態というのは上向きと下向きの数が同じになることです。これは単に数が同じというだけでなく、スピンは上でもあり下でもある状態です。量子力学では状態は波で表わされるので2つの波(状態)が干渉した(coherence)状態となります。 本来スピンの計算は量子力学をつかわないといけないのですが、ちゃんと計算するときは量子力学を使います。 古典的モデルでのスピンエコーの説明は、ほとんど不自由することはなく理解する上でも使います。 しかし相互作用とか複雑なことを説明しようとすると説明できなくて破たんすることもあります。
他の分光法との比較
磁気共鳴は本質的には他の分光法と同じです。汎用の使われる分光吸収と比較してみましょう。
可視光の分光吸収では光をあてるとある特定の色を吸収することを利用してその物質の性質を観測します。
ここでは2つのエネルギーの間の遷移を見ています。遷移発光も吸収も同じ確率でおこりますが、初めは下のエネルギー準位にいた状態が上に移るのでエネルギーの吸収がおこります。そして上の準位に移った状態は下に落ちて放出がおこります。この振動を繰り返します。2状態しかなく、しかもごく短い時間の観測ができれば磁気共鳴でスピンに見られるような共鳴振動がみられるはずです。 実際に、時間をおいた2つのフォトンをいれるとスピンエコー同様フォトンエコーという信号が観測されます。フォトンエコーはスピンエコーが発見されてからそんなに間のない初期に発見されています。 普通の物質では、2状態ということはなく、さまざまな振動準位があり、高速での測定も難しいので厳密な量子力学的なとりあつかいは困難です。逆にいうとESR法やNMR法は理解するのに量子力学が必須であるという反面、量子力学できっちり解釈や議論できる手法です。 光合成の研究などでも“分光法は簡単だがESRはむずかしい”といわれることがしばしばありますが、じつは普通の分光法はESRよりずっと複雑で、そのためかえって理解に困るほど難しいことができないということでもあります。
パルスEPR法は強いマイクロ波を照射することによって時間変化する吸収変化を見る手法です。
短い時間のマイクロ波を照射するとはどういうことでしょうか。
波とはある周波数での時間変化です。だんだん時間を短くしてゆくとどうなるでしょうか。
(A)は波らしいですね。 (B)はある時間でカットしたパルス化した波です。 (C)は極端な場合です。
(C)は“なみ”ともいえないようなもんで、もはや“な”ぐらいです。(C)の周波数ってどのくらいになるのでしょうね。 実は周波数そのものは“確定”した値ではなくいろんな周波数を含むことになります。可視光で例えるなら、赤色の光だと思っていたら、短い時間だけ切りだしてやるとオレンジ色や黄色も含むようになるということです。 もっとも技術的にはそんなパルスは作れないですが。 1マイクロ秒程度のパルスでは1MHz程度の広がりをもちます。タンパク質のNMRなどでは全体のスペクトル幅をカバーするので一度に測定をすることができます。 しかし、パルスEPRでは大抵の信号の線幅は広いのでスペクトルの一部だけを測定することになります(hole
burning)。パルスEPR法と一般的なパルスNMR法の使い方の最大の違いはここにあります。 分光法の方法論についての基本的なアイデアはNMRにおいてかなり試されています。 分光法という大きなくくりではEPR法は4,50年は遅れているのではないかと思います。もっとも普通の分光法は100年は遅れているのかもしれません。 取り扱うエネルギーの大きさはNMR<<EPR<<可視光吸収 ですから、感度も信号分解能もその順番になってまいります。
NMRがこれだけ汎用になった理由はタンパク質の構造解析という良好な対象を得たことにもあります。
そこで見ているのはプロトンですから、相互作用の届く範囲はたかだか6,7Å程度です。 ごく局所的な情報しか得られないはずでした。 しかし、高分子であるタンパク質は全部つながっていますから、それだけ見えたら十分で、たどってゆくと結局全部見えるわけですね。 EPRでは電子スピンが対象ですから距離的には100Åオーダーの相互作用は見えます。 情報量はそれだけ含んでいるはずですが、情報量が多すぎて大抵何も見えないということになります。 だから解釈の一番難しいのが実はふつうに測定する汎用のCW-EPR信号であったりします。うもれた情報を取り出すためにEPRでは様々な測定手法が開発されてきました。そうした測定手法を身に着けいろんな場合に対応させることがEPRの研究では重要になってきます。
チロシンラジカルYDとYZ
チロシンラジカルYDとYZチロシンYDラジカルはタンパク質中ではじめて観測されたアミノ酸ラジカルです。常に安定な中性ラジカルとして光合成系ⅡのEPRにおける研究の基準となっています。これとは対照的にYZラジカルは不安定で過渡的にしかとらえることができません。酸素発生系が存在する状態では寿命は50マイクロ秒から1ms程度です。酸素発生系を除去すると寿命はおおきく伸びます。 -20℃で光照射した直後に急速凍結することによりYZ信号を安定的にTrapすることができます。
中性ラジカルということになっています。 マンガンを除去した光化学系ⅡのYZはpHにより線形が大きく変化します。 高いpHではよく見られる中性ラジカルの線形ですが、低いpHではひずんだ線形になります。 パルスENDOR法で調べると、明らかに電子スピン密度の変化があることがわかります。 この線形はカチオン型のチロシンラジカルです。 溶液中でのpKaは-2ということからカチオン型というのは極めてまれです。
Mn-depleted PS IIのYZ信号
S2信号
酸素発生系からはたくさんのESR信号がでます。最も有名な信号はS2マルチラインとよばれる信号です。1981年、この信号の発見により酸素発生へのマンガンの関与が直接示されました。とても美しい信号です。この信号はS2状態からでてきます。スピンはS=1/2です。S2状態からはこれとは別にg=4信号とよばれるESR信号がでてきます。この信号はマルチライン信号と平衡なスピン構造のまったく異なる状態からでてきます。この信号はスピンS=5/2のうちのスピンS=3/2からでてきます。
同じS2状態でスピンが違う構造ってどんなものでしょうか。ここでスピンをベクトルで考えてみましょう。S2状態は1つのMn(III)と3つのMn(IV)からなっていると考えられています。Mn(III)というのは電子スピンS=2,Mn(IV)というのは電子スピンS=3/2からなります。この4つのベクトルをつなぎあわせてS=1/2をつくります。 矢印の方向角度をかえるとS=5/2をつくることができます。こうやってつなぐとどんな大きさの合成でもよさそうなものですが、量子力学のきまりとして1/2の整数倍ということになっています。各ベクトルの角度はその電子のはいっている分子軌道によって決まってきます。スピン同士の相互作用ですが、スピンそのものは大した大きさのエネルギーはないので分子軌道のエネルギーということになります。スピン構造を知ることはその分子の構造を知ることになるのです。
S1信号
通常のEPRでは外部磁場と垂直方向に振動磁場をかけることにより遷移をおこします。これは外部磁場をかけるとスピンが外部磁場の方向をむくからです。しかし、スピンが大きいときには零磁場分離というものが存在します。これによって内部磁場をもつために外部磁場をかけても必ずしも外部磁場の方向を向いてくれません。Parallel法はそういう場合に有効な方法になります。Parallel法では外部磁場と平行方向に振動磁場をかけて遷移をおこします。この手法のよいところは通常の半整数スピンの信号が観測されないところにあります。特に整数スピンでは観測に適しています。この方法を用いて酸素発生系のS1状態の信号が観測されます。この信号は最初に報告されて以来、確認ができず存在しないと考えられていた信号です。非常に弱い信号で観測はとても難しい信号です。
g=2,D=, E/D=** で説明でき温度依存性から弱い励起状態と考えられます。
数%のアルコールを加えると観測することができません。
S3信号
この信号の観測は狙ってとれたというよりは何度も実験をやってるうちに気になる小さな信号です。 どうも酸素発生系由来のようが、最初はS2状態の信号の一部なのかなだと思っていました。ただ、まじめに計算するとS2状態ではどうもあわない。一年以上そのままだったと思います。S3状態由来の信号らしい、、、というのでフラッシュ照射実験をしてみると、やっぱりS3状態由来の信号だということがわかりました。 わかってしまえばこの信号の測定条件自体はそれほどシビアではありません。parallelでなくとも観測はできます。整数スピンをもちます。 最近の研究によればS=3です。
S0信号
S0信号はMessingerらによって1997年に発見された信号です。 S2マルチライン信号と同様S=1/2g=2由来の信号です。