手法
光誘起フーリエ変換赤外 (FTIR)差スペクトル法
  蛋白質における酵素反応の分子メカニズムを明らかにするためには、その活性部位における基質やアミノ酸側鎖のプロトン化構造、水素結合状態、化学結合の生成・切断、結合強度変化など、詳細な原子・分子レベルでの情報が必要不可欠です。フーリエ変換赤外分光法(FTIR)は、そのような詳細な分子構造や相互作用、化学変化を調べるのに適した手法です。光合成蛋白質のように光に感応性のある蛋白質では、光誘起反応の際の微小赤外吸収変化(十万分の一の吸光度変化まで検出可能)を測定することによって、蛋白質複合体中での一つ一つの化学結合の変化を検出し、その詳細を調べることができます。また、クライオスタットを用いて試料を極低温まで凍結することによって、特定の電子移動成分のラジカル種や反応中間体をトラップする、低温トラップ法も有効な手段として用いています。


FTIR差スペクトル法


フーリエ変換赤外分光計


ATR-FTIR法
 全反射吸収(ATR)法は、赤外光がATR結晶表面で全反射を起こす際の試料へのもぐり込みを利用して赤外スペクトルを測定する手法です。一般に用いられている透過法では、試料を一度セットすると、試料の状態や緩衝液の種類を変えることは困難ですが、ATR法では、緩衝液を交換することにより、ATR結晶上に吸着させた試料の状態を変え、その際の蛋白質やコファクターの変化を検出することができます。ATR法と光誘起差スペクトル法を組み合わせることにより、同一試料を用いて、光化学系IIにおける各電子伝達成分のFTIRスペクトルを選択的に測定することが可能となりました。


ATRユニットと緩衝液フロー系


時間分解赤外法
 時間分解赤外分光法(Time-resolved IR spectroscopy)を用いて、酵素反応のダイナミクスをns−msのオーダーで調べることができます。この手法を用いて、光合成水分解反応における電子・プロトン移動反応のメカニズムを調べ、反応サイクルにおける短寿命中間体の検出を行っています。また、クロロフィルの電荷分離・再結合、励起三重項状態生成やチロシンYZの光酸化反応のダイナミクスなどを調べています。


分散型時間分解赤外分光装置


FTIR分光電気化学法
 FTIR法を電気化学計測と組み合わせることにより、試料溶液の電位を調節して電子伝達反応を制御しながら、FTIRスペクトルを測定することができます。このFTIR分光電気化学法を光合成タンパク質に用いれば、タンパク質中の各電子伝達分子の反応を選択的に測定することができ、さらに、反応する割合の電位依存性を調べることにより、それらのの酸化還元電位を正確に計測することができます。


FTIR分光電気化学計測


ESR(電子スピン共鳴)法
 ESR(電子スピン共鳴)法は電子を観測対象とした磁気共鳴法の一種です。ラジカルや金属の電子状態を調べることができます。ESR法で観測できる電子状態からは分子の運動状態、電子と核間(-6Å)、電子と電子間(-50Å)の距離などがわかります。
 測定したい分子に外部から磁場(静磁場)を加えると、磁場の方向に対して電子のスピンの向きによるエネルギー差が生じます。 エネルギー差に対応するマイクロ波(振動磁場)を分子に加えると電子が共鳴振動をおこしマイクロ波の吸収がおこります。この共鳴吸収を利用して物質内部のエネルギー状態を調べる方法がESR法です。
 量子力学的には電子は波の性質をもちます。パルスESR法はマイクロ波を短時間だけ照射した後、共鳴振動をする電子スピンの運動を観測することによって電子の波の位相をそろえて見ることができます。パルスESRでは分子の電子状態や分子間の距離をより精密に測定することができます。現在パルスESR法を元に多くの測定技術が開発されており、私たちはこれらの技術を用いてタンパク質内部の分子の構造や運動状態、タンパク質間の相互作用を調べています。


EPR装置


ESRの原理


熱発光・遅延蛍光
 発光中心を持つ物質内で電荷分離状態を作り、低温でそれを凍結させた後、徐々に昇温すると、ある温度で電荷再結合が起り、発光します。これを熱発光と呼び、その発光温度から電荷分離状態のポテンシャルの深さを知ることができます。この手法は、光化学系IIにおける電荷分離状態に応用でき、マンガンクラスターやキノン電子受容体などの酸化還元状態やそのポテンシャルを調べるのに大変有用な手段です。また、遅延蛍光は、ある一定温度で電荷再結合による発光の時間挙動を観測する手法で、熱発光と同様な情報が得られます。熱発光も遅延蛍光も、植物の生葉や藻類の細胞で直接観測でき、“生きた”状態での光合成反応を検出できる利点があります。


熱発光のメカニズム


熱発光・遅延蛍光測定装置


量子化学計算による精密解析
 近年の計算化学の発展によって、密度汎関数法(DFT法)やQM/MM法などの量子化学計算を用いて、分子のポテンシャルエネルギーや最適化構造、基準振動などが極めて高い精度で求まるようになりました。GaussianやGaussViewなどのプログラムを用いることにより、研究室でエネルギー計算や基準振動解析を行うことができます。こうした理論計算は、実測のスペクトルやポテンシャルを解析し、分子構造や相互作用の情報を導き出すのに極めて有効な手段です。

QM/MM計算による構造最適化

DFT計算による振動解析